手話が使えるゴリラの「ココ」について
2018年の6月19日、ゴリラのココがこの世を旅立ちました。彼女は白いゴリラで有名な「スノーフレーク」と並んで、おそらく世界で最も有名なゴリラだったのではないでしょうか。そんなニシローランドゴリラのココは、彼女の家でもあったゴリラ財団にて最後の数年を過ごした後、享年46才で亡くなりました。
ココは睡眠中に苦しまずに死去したようで、財団関係者は悲しみつつも胸を撫で下ろします。今は霊長類に言葉を習わせるのは、倫理的な理由から禁止されつつあるので、この財団もココが旅立ちと共に亡くなるのかもしれません。
ゴリラのココ:唯一無二の存在
ゴリラのココは手話を使えることで有名になりました。ココは、彼女のトレーナー兼お世話係だったフランシン・パッターソン氏に1000を超える手話を教えてもらい、また英語も少なくとも2000語は聞き取ることができたのです。
しかし、ココの能力は時に大げさに語られすぎています。例えば、科学界においては「ココは構文を用いた意思疎通はできない」ということでおおよそ合意していますし、意思疎通の能力もおよそ4才の人間の子ども程度しか無かったそうです。
実のところ、ゴリラのココは手話だけで有名になったのではありません。地球温暖化を訴えかけるビデオによく使われていたのも理由の一つでしょう。確かに効果的な宣伝ではありますが、ゴリラが地球温暖化の因果関係に対して意見を持っているとは思えません。人間でもほとんど分かっていないのですから。
ゴリラのココの物語
ココはサンフランシスコ動物園に生まれました。生後4ヶ月ごろまでは健康状態が芳しくなかったため、自然とお世話係さんと居る時間が増え、深い絆を育むことになりました。
その後、お世話がかりのフランシンさんはココを「ゴリラ財団」に連れて行くことにし、実際ココは残りの人生をこの財団で過ごすことになりました。もちろん、全ての人がこれに賛成したわけではありません。動物園と違って財団では、他のゴリラたちとたくさん交流しながら暮らして行くことになるのです。
冒険に満ちた一生
ココは他の動物に対して大きな愛情を持って接していました。時にはネコの世話をしたり、手話を用いて愛情表現を行なったりもしたのです。
またココは、レオナルド・ディカプリオやロビン・ウィリアムスといった沢山の人と交流を持ち、ロビンが亡くなった時のココのリアクションは世間でも大きく取り上げられました。
政治的側面
ココの存在は多くの人に驚きを与えましたが、同時に彼女の生まれ育った環境は動物虐待に値するという意見も多くあります。
そもそも、霊長類は人間の中で暮らしていると、簡単に「人間化」してしまいます。一度このように育てられてしまうと、もう自然の中で仲間のゴリラや他の動物と一緒に暮らすことが不可能になってしまうのです。これが猿をペットにしてはいけない理由の一つでもあります。
ココは他のゴリラとも交流しながら生きてきましたが、それでも自然界で生きてきたわけではありません。実際、ココが仲間ゴリラにハブられている時も多々あったそうです。
このような理由から、ココは自身が生まれた動物園で一生を過ごすべきだったと考える人も多くいます。そこは、ココが生まれ育った、ココにもっと適した社会だったかもしれません。
また霊長類に言葉を教えるという行為も、議論のマトになりました。同様の行為が、動物実験と認定されて、中止になった事もありますし、実際言語教育を受けた猿のほとんどが精神的な問題を抱えてしまった、という観測結果もあります。
間違いなく、ココは普通のゴリラとは異なる一生を歩んできたことでしょう。確かにココの一生そのものが、ココにとって最高のものだったかどうかは分かりません。ただそれでも、その姿を見て、自然の凄さを感じ、尊敬の念を抱いた人間たちが多くいた事も事実です。
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