ラバの起源とその歴史について
人間によって作り出された交配種であるラバは、20世紀にに入るとその人気が高まり、アメリカでは600万頭以上のラバがいたと言われています。
ラバという名前はラテン語に由来しますが、正確にはどこから来たのでしょうか?
一般的にラバとはロバの雄と馬の雌を交配させた品種であるため、常にロバと馬の掛け合わせを続けることでラバという種類を維持し続けて来ました。
ラバにも発情期があるため妊娠は可能だと考えられますが、たとえ出産しても若い年齢で死ぬ体の弱い赤ちゃんが生まれることがほとんどです。
ラバはコンパクトなサイズながら非常に頑丈な動物で、見た目は馬というよりもロバに近く、長いタテガミのある首と、丸くて幅の広い体が特徴です。
また頭は馬より短くて広く、長い耳、細い脚、小さな足、そして太い蹄を持っています。
ラバとロバを間違えることはよくありますが、色を注意深く見るとその違いは明らかです。
ロバの尻尾は、牛のように最後に小さな房が付いていますが、ラバは馬に近い毛に覆われた尻尾が体の高い部分にあります。
雄と雌のラバの違い
雄のラバは雌よりもわずかに体が大きく、彼らは太くて丸みのある脚を持っています。
また雄の体は雌より長く、胴体の後ろの部分は雌よりもより尾部に近いという違いがあります。また雄は雌よりも強くて丈夫なので平均寿命も長いと言われています。
ラバの起源
ラバの正確な起源、つまり日付や場所はわかっていませんが、馬とロバが自然に交配したとは考えにくいため、人為的な力が関与してこの交配種が生まれたと考えるのが正しいようです。
かつてはロバの雄が馬の雌と交配したと考える説もありますが、新種を生み出すのに十分であるとは考えにくいからです。
ラバが最初に広がった国はアメリカだと言われています。
農作業に欠かせない動物であったラバはジョージ・ワシントンでさえ、ラバを繁殖させたいと話していたと言われています。
しかし、ロバの保護を訴えているスペインのチャールズ3世によってラバの繁殖は一旦中止になりました。
自分の主張を理解してもらおうと、ジョージ・ワシントンは、ラバの雄2頭と雌1頭を贈呈しました。一頭の雄は輸送の途中で死んでしまいましたが、生き残った2頭がスペインの王であるチャールズ3世の、ロバの種に対する認識を変えたと言われています。
20世紀のアメリカでは、ラバの数が600頭以上に増えましたが、その数は産業革命の間に急激に減少し始め、1960年代には、たった1万頭のラバしか残っていませんでした。
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動物虐待
残念なことに、ラバの歴史は幸福や成功だけでは語ることはできません。
歴史の中で人間は、ラバに過剰労働をさせたり、不健康で過酷な場所で過飼っていたため、本来必要な十分なケアを受けていませんでした。
残念なことに、ラバは母親側の「馬」美しさをはじめとする良い評判を受け継ぐことはほとんどなかったため、ラバは労働作業用の家畜だと見ている人がほとんどでした。
ラバを農作業に使っていた農場などでは、ラバが怪我をしたり病気になった時にも、適切な治療を受けさせることはほとんどありませんでした。
ラバの飼い主は、ラバに小屋を与えず昼夜問わず外で過ごすラバたちも多かったため、劣悪な環境や限りない過剰な強制労働がロバの寿命を縮めていました。
アメリカにおけるラバの扱いは非常に厳しかったため、活動家たちはラバを守るための行動を起こしました。
60年代には農業用のトラクターが普及し、ラバがこれまで行った仕事を引き継いだため、多くのラバが放棄され死んでしまいました。
この頃、 アメリカロバ・ラバ協会(英:American Society of the Donkey and Mule)はひどい扱いや虐待からロバやラバを守るために、ラバの繁殖を禁止することもありました。
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アイダホプロジェクトとラバの繁殖
2000年代にアメリカでは、ラバの繁殖に関するより多くの研究を促進する目的で「アイダホプロジェクト」を行うと発表されました。
ラバのクローンを作る目的でプロジェクトが開始し、およそ340日間の妊娠期間を経て、2003年5月に初のクローンが生まれました。
クローンである雄のラバは「アイダホ・ジェム(Idaho Gem)」と名付けられました。
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